優先携帯「通じず」−発生から2時間NTTの装置故障−
2005/03/24(木)第31面掲載

 福岡県西方沖地震の発生から約2時間にわたって、官公庁などが災害時、優先的に利用できる携帯電話が掛かりにくくなっていたことが分かった。地震の影響でNTTのコントロール装置が故障していた。佐賀県は固定優先電話や防災行政無線を使用し、大きな支障は出なかったが、緊急連絡体制に課題を残した。


 通話コントロールは一般携帯電話を規制し緊急電話を優先するもので、携帯電話各社が指定契約。このうちNTTドコモ九州は装置を福岡市内の施設に設置しているが、20日午前10時50分すぎの地震発生時から午後0時40分まで九州全域で機能しなかった。原因は調査中という。
 
 災害時の優先電話は電気通信事業法で消防や災害援助に当たる官公庁などに使用を許可。NTTは県内で携帯電話約150台、固定電話約2,800回線を登録している。

 このうち県は携帯電話43台、固定電話21回線を配備。携帯は知事や副知事、防災担当者らが常備しているが「一般の携帯電話と同様、ほとんど通じなかった」と川崎俊広危機管理・報道監。地震発生時、佐賀郡諸富町で県消防操法大会に参加していた古川康知事も「公衆電話から知事公舎を中継して、県庁と連絡をとった」と話す。

 東松浦郡玄海町の九州電力玄海原子力発電所でも緊急時用の携帯電話が一時通話不能となった。地震による施設への影響はなかったが、職員が関係機関や自治体に連絡した際、原子力安全保安院にはつながったが、県と唐津市に連絡がついたのは約20分後だった。

 玄海町は担当者が同発電所に連絡。発生5分後に1度つながったが、その後は「何度かけてもだめだった」という。中越地震を経験した新潟県柏崎市は衛星携帯電話を導入しており、玄海町は新年度、2台を購入する。

 県消防防災課は「電話会社から報告を受け、問題点を洗い直した上で、バックアップなど連絡体制についてあらためて考えたい」と話す。  (澤野、青木、坂田)

 

神集島で液状化現象
福岡県西方沖地震でできたとみられる陥没。近くでは液状化現象が見られた=唐津市神集島の漁港施設
 20日発生した福岡県西方沖地震で、唐津市神集島の漁港施設で小規模の液状化現象が発生していたことが分かった。佐賀地方気象台が23日、見解をまとめた。今回の地震の影響とみられる液状化が見つかったのは、県内で初めて。
 
 液状化現象が見られたのは漁港内の埋め立て地で、船から魚などを水揚げする物揚げ場。約3メートル四方、最大深度約30センチの陥没があり、近くで細長く地面が裂け、泥が噴き出していた。現在は収まっている。

 同気象台や唐津市が22日、神集島で現地調査を実施。漁港の護岸などで傾きやひびが見つかり、神社の鳥居に亀裂が入っていた。また、沿岸沿いの道路では落石を確認した。(古賀真)



土砂災害備え緊急点検
2005/03/24(木)第27面掲載
危険箇所を点検する県砂防ボランティア=七山村滝川

 県と県砂防ボランティア協会は23日、福岡県西方沖地震で震度5強以上を観測した東松浦郡七山村、三養基郡みやき町、上峰町で、土砂災害危険個所の緊急点検を行った。結果は来週初め、国土交通省に報告する。
 
 点検は、県が2001〜2003三年度に調査した危険個所222カ所で実施。みやき町、上峰町は25日まで行う。

 七山村内の164カ所では県砂防ボランティア23人が8班に分かれ、急傾斜地の亀裂や土石流危険渓流の水の濁りなどを目視で調査。住民への聞き取りも行った。

 調査をとりまとめる県河川砂防課は「今のところ早急な対策が必要な個所は見つからず、地震で危険度が増した所はなかった」と話す。(瀬戸)


 

有明抄

2005年03月24日

 思いもしなかった地震。着の身着のままで避難生活を強いられている福岡・玄界島の住民たちを、いまだやまない余震と無情の雨が苦しめている◆コンビニなどなくても島の人たちは互いに寄り添うような暮らしを一番大切にしていた。「困った時はお互いさま」という古き良き時代の”向こう3軒両隣”。しかし、一瞬にして家を失い、漁業もできない。二次災害への不安と孤独。私たちに何かできることはないのだろうか ◆地震とは違うが、自然災害の被災者への温かいまなざしとして、こんなエピソードを紹介しよう。1947(昭和22)年9月14日のこと。関東地方を大きな台風が襲った。「キャサリーン台風」と呼ばれ、約2,300人もの犠牲者を出した巨大台風である◆東京・下町一帯を襲った濁流が家をのみ込んでいく。浅草・言問橋の橋の下にあった集落も一晩のうちに流された。住民たちは着るもの、食べるもの、住む家もすべて失った。恐怖で途方に暮れているその人たちを必死に励まし続けたのは近くの教会の心やさしきゼノ神父◆台風の次の日の朝、神父は闇市に行ってロウソクをたくさん買った。平成の時代と違い、夜の避難所は真っ暗になる。住民を襲う不安と恐怖。神父は点在する雨露をしのぐだけの避難所1軒1軒にロウソクとマッチを配っていったという。暗闇の中にともったロウソク。ほの明かりの中に浮かんだ住民の顔。神父は「がんばって」という一言を添えた◆被災者たちはどれほど勇気づけられたことか。1本のロウソクの明かりが災害から立ち上がる勇気を与えたのである。奉仕とは生きる希望を与えること。私たちに今、何ができるかを考えてみよう。(賢)