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 寛永十五年(一六三八年)三月、柴田鉄蔵は取り壊しの始まった原城を見ていた。
 今度の戦は、柴田鉄蔵が初めて経験した戦だった。耳には、キリシタン一揆軍が唱え続ける、神の名を呼ぶ声が今もこびりついている。
 崩れ落ちた石垣、焼け焦げた柱の跡、悪夢のような戦いだった。
 草擦をつけただけの武者が刃こぼれのひどい太刀を振り回し、武器を持たない農民が素手で首を絞めにきた。攻撃してくるのは男だけではない。籠城する女や子供も、竹槍を手に幕府軍を狙ってきた。柴田鉄蔵自身、胴の隙間から槍を差し込まれ脇腹を抉られている。
 相手は年端もいかぬ子供だった。
 その子は原城内に幕府軍が突入して、鉄蔵が最初に遭遇した敵でもあった。痩せて泥だらけの顔。その中で目だけが異様にぎらつき、手には細い竹槍をしっかり握っていた。鉄蔵が子を無視して尚も進もうとしたとき、後から竹槍を刺し込まれた。鉄蔵は驚いて振り向いた。鉄蔵に竹槍を刺し込んだ子の目にあるのは、ただ憎悪の光だけ。子は鉄蔵を刺した細い竹槍を抜き取ると、今度は鉄蔵の顔を狙ってきた。
 鉄蔵は思わず太刀を薙いだ。竹槍を持つ子の顔半分がぱっくりと割れ、血飛沫を上げてぶっ倒れた。子は血飛沫を上げながら母の名を呼んでいたように思う。
 鉄蔵は体の震えがとまらず。それからの戦のことをほとんど憶えていない。
 竹槍で抉られた傷は、深傷と言うほどでもなかったが、じっとしていてもそこだけ、脈打つように疼く。
 先陣を承った幕府軍が原城に密かに忍び寄ったとき、待ち伏せしていたと思われる一揆軍に打ち破られるということもあった。
 寄せ手の幕府軍の中に、一揆軍に内通している者がいるように思われる出来事だった。戦が終わった今も、誰が一揆軍に内通していたのかは、わからないままになっている。味方さえ信じられない戦いでもあった。
「柴田様、殿がお呼びです」
 突然の声に驚いて振り向くと、血濡れた晒を、顔半分に巻いた木村新五郎が立っていた。この男は柴田鉄蔵の配下として忍藩で横目を勤めていた。
 鉄蔵は横目を差配する目付である。
「新五郎、傷の具合はどうだ」
「なんとか……」
 新五郎の顔に、ふだんならめったに見せぬ気弱な表情が浮かんでいる。
「戦はもう終わった。残った残党どもを捕らえる仕事もじきに終わるだろう。そうなれば故郷で待つ家族のもとに帰れるのだ。その方の奥方も傷を見れば、御家の為にどれほどの働きをしてきたのかわかってくれる。そのことで、かえってその方のことを頼もしく思うかも知れぬぞ」
 新五郎は嫁をもらって二年ほどしかたっていない。
 鉄蔵は新五郎の肩を一つぽんと叩くと、忍藩主松平伊豆守信綱のいる本陣へと急いだ。 松平伊豆守信綱は島原のキリシタン一揆軍討滅のために集まった諸藩を束ねる幕府上使としてここに着陣している。
「お呼びでございますか」
 戦いが終わった今でも、具足を着けたままの姿で伊豆守は床几に腰掛けていた。
 伊豆守が何も言わないので鉄蔵も黙って待つしかなかった。
 伊豆守は将軍家光の小姓組頭から六人集(若年寄)そして老中へと出世し続けてきた男であり、今では知恵伊豆とも称されている。
 幕府上使として百騎、千三百人を引き連れて着陣した伊豆守であったが、その配下に無傷の者は何人もいない。大筒もあった。鉄砲もあった。人数も幕府軍が一揆軍を上回っていたはず。なのにこのざまだった。この陣所だけではない。どの藩の陣所に行っても戦勝気分に浮かれている所などないはずだ。
「大矢野四郎が生きているという噂が流れておる」
 伊豆守の言葉を頭が理解するのに、一瞬の間が必要だった。
 大矢野四郎とは、一揆軍において天草四郎時貞とも益田四郎時貞とも言われていた総大将である。ただ、幕府側から見れば単なる謀反人であるため、四郎の生地である村の名(大矢野村)を上に付けて、大矢野四郎と呼んでいた。
「まさか……、奴は肥後細川家の陣佐左ェ門どのが討ち取ったのでは……」
 二月二十七日の総攻撃の時、肥後熊本細川家の陣佐左ェ門が討ち取り、首実検も先日すませたはず。しかも、討ち取られた首を見て大矢野四郎に間違いないと認めたのは四郎の母親だと聞いている。
「間違いだったのでございますか」
「大矢野四郎の首であると認めたのは母親だけではない。なんという名であったか、矢文を使って原城内から内通していたあの南蛮絵師も認めておる」
 あの絵師とは、原城唯一の生き残り山田右衛門作のことだ。
「では、そんな噂がいったいなぜ……」
「わしに分かるはずがあるまい。それ故、そのことを探らせるためにおまえを呼んだのだ」
 島原半島高来郡内のキリシタン達が流しているのか。いやそんなはずはない。この地のキリシタンのほとんどが今度の戦で死んでいる。残っている者も、根狩りともいえる厳しい残党狩りにあっている。
 噂を流そうにも、流す相手さえいないのではないか。
「いったい何処でそのような噂を御耳にされたのでございますか」
「昨夜細川家より使者があり、こう申したのだ。陣佐左ェ門が討ち取った首は大矢野四郎の首ではなかったのか、と。細川家からの使者になぜそのようなことを申されるのかと尋ねると、細川家の家中で、大矢野四郎は生きているとの噂を耳にした者がいるとのことだった。陣佐左ェ門が討ち取った首は偽首とまで言われているという」
 噂の元は黒田家だろうと鉄蔵は思った。
 先陣争いに遅れを取った黒田の家中の者が、大矢野四郎の首を討ち取ったと申し出たのは、すでに細川家が大矢野四郎の首を持参した後のことだった。
「よいか鉄蔵、調べ上げよ。誰が何のためにこのような噂を流すのかを」
 そこまで言うと伊豆守は黙りこくってしまった。
 心の内をはっきりと見せることのない主君であった。
 将軍家光の寵愛を受けている伊豆守は、六人衆(若年寄)、老中と出世街道を昇ってきた。忍藩松平家は、そうやって伊豆守の代でのし上がってきた家門ゆえ、多くの家臣を新たに召し抱える事になったのだ。その上、幕閣として将軍家光の側近くに長くいるため、まだ心許せる家臣が少ない。
 翌日、鉄蔵は筑前黒田藩が本陣としている寺をたずねた。新五郎は連れてはこなかった。動ける程度の傷の者は、キリシタンの残党狩りに駆り出されているからだ。
 幕府上使松平伊豆守信綱の家中の者と知って丁重に庫裡の書院へと案内された。
 応対に出て来たのは家老格にあたる重臣だった。
「伊豆守様は黒田家を愚弄されるのか。いくら人違いをして大矢野四郎を間違えたとはいえ、恥をかいたことを逆恨みしてつまらぬ噂を流すような者は当家にはおらぬ」
 鉄蔵の話を聞き終えた重臣の第一声は、怒気を含んだものだった。此度の戦以外にも戦の場数を踏んでいると思われる老臣の迫力に呑まれそうになった。
 しかし鉄蔵は、役目がらなおも聞かねばならなかった。出来るだけゆっくりと穏やかにしゃべり、相手をこれ以上怒らせぬように注意した。いくら伊豆守が老中とはいえ、外様の大藩である黒田家を必要以上に怒らせれば、面倒なことにならぬとも限らない。
「噂を聞いたことはございませぬか」
「ない。そもそも伊豆守様こそ、そのような噂を何処で御耳に入れられたのか」
 答えられなかった。まさか細川家の名を出すわけにはいかない。
 噂が伊豆守の耳まで届いており、伊豆守自身が、自分の仕置きに不満があるのかと言っているとなれば、黒田家も恐れ入って恐縮するであろう位に考えていた……。
 目の前の重臣の様子をうかがう限り、嘘をついていたり何か隠し事をしているようにも見えなかった。
 (殿はこの噂を細川家の者から聞いたと言っていたが、細川家の者とは一体誰のことなんだ)
 鉄蔵は細川家にも探りを入れてみたが、陣佐左ェ門の手柄を冒とくしていると取られたのか、けんもほろろに追い返されてしまった。鉄蔵は、自分の失敗をさとった。結果として、自分が噂を撒き散らす形をとってしまったのだ。
 (一体誰が噂を流しているのか)
 鉄蔵は自分の軽率さを悔みながら、忍藩本陣近くの藁葺きの農家へと戻った。ここは鉄蔵が寝泊まりするために勝手に住み着いているところだ。
 合戦中はこんな所で寝泊まり出来るはずもなく、原城そばで野営していた。だが戦が終われば、手頃な農家を見つけて寝泊まりする者も多くなっていた。もちろん誰に断りを言う必要もない。どの家の持ち主も、家族を連れて原城に立て籠もり戦死しているのだ。米や薪、鍋なども原城に持ち込んだのだろう、鉄蔵がこの家に来たときには炊事道具と呼べる物は何もなかった。
 鉄蔵は火の気のない囲炉裏のそばで横になった。
 三月初めのこの季節、原城のまわりに植えられてあったという桜が、本来なら薄桃色の花を咲かせていたはずだ。だが、今の原城は一木一草生えていない荒野と化している。
 キリシタンで生き残っているのは、原城に立て篭もらなかった者だけ。大矢野四郎の首は、母親と山田右衛門作が間違いないと認めているというではないか。たかが噂ごときに惑わされねばならない理由がわからない。
 脇腹の傷が疼きだした。
 鉄蔵は起き上がって汲み置きの水を甕から呑み、そのまま甕の縁に手をついてため息をついた。

「柴田様、起きてください」
 傷の痛みが治まるにつれ、うつらうつらとしていたようだ。
 はっと気づくと、目の前に木村新五郎の顔があった。顔半分に巻かれてあった晒が外されていた。傷が盛り上がり、腫れあがった痛々しい顔だ。
「どうした新五郎」
 伊豆守様に御用を申しつけられておきながら、居眠りしていたという醜態を見られた恥ずかしさから、声が必要以上に大きくなった。
「柴田様、一揆軍の残党を召し捕りましたところ……」
 新五郎が言うには、山狩りを始めてすぐにその男を見つけ、捕まえて仲間の居場所を吐かせようとしたが、刀を振り回しての抵抗があまりに激しく、生け捕りにするのに随分手間がかかったという。
「縛り上げて本陣に連れ帰ろうとしたとき、舌を噛まれました。男は縛られた後も、戦はまだ終わってはいない、大矢野四郎を奪い返す為に仲間が動いているぞと叫んでいました。舌を噛んだのはその後です。侍でもない農民ですから、捕まりさえすれば観念するだろうと思い、猿轡を噛ませなかった為の失敗です」
 新五郎はうなだれた。
 鉄蔵は何も言わず新五郎の姿を見ていた。新五郎の呼吸は荒く肩で息している。
「残党狩りでは一揆とは関係ない農民も捕縛されていると聞いております……」
 新五郎はうなだれたまま言った。
「原城の一揆勢は全滅したのですから、いくら御下命とはいえ、これ以上の残党狩りは咎を受けるべきではない者さえも巻き添えにするのでは……」
 新五郎はなおも言葉を重ねた。
「仕方あるまい。一揆勢は根絶やしにせよとの殿からの御下命だ。たとえ間違いがあろうとも続けるしかあるまい。それに、咎を受けるべきではない者を捕縛することを気にしたあげく、御下命を成し遂げるのに失敗したのだ。言い訳にはならぬぞ」
 この男には伊豆守からの密命を伝えてある。
「失敗の責めを負うことは覚悟しております」
「もうよい。舌を噛んで自死するとは確かに思うまい。捕縛したのが、たとえわしであっても猿轡は噛ませなかっただろう」
 確かに男を自死させたのは問題になるかも知れぬ。だが、それ以上に問題なのは男が叫んでいたという言葉の意味だ。
 大矢野四郎を奪い返すとはどういう事だ。奴は生きているのか。そして、それは伊豆守の言う噂と関係があるのか……。
 しかし奪い返すと言うからには、奴はこちらの手の内にあるということなのか。それともやけくそになって言っているにすぎないのか。
「新五郎、とにかく済んだことは仕方がない。わしはあの件で殿に申し上げねばならぬ事がある。おまえから聞いたことも、わしから伝えておく。おまえはここで休んでいけ」
 新五郎はしきりに顔の傷をさわっている。傷が疼くのだろう。この島原の地に来ている者全員が満身創痍と言っていい。傷を負った体では、注意力が鈍るのも仕方がないことのように思えた。新五郎だけを責めるわけにはいかない。
 その夜、忍藩が本営として使っている寺に行き、伊豆守に事の次第を伝えた。伊豆守は時おりうなずくくらいで、鉄蔵の話を黙って聞いていた。
「四郎を奪い返すか……」
 鉄蔵の話を聞き終えると、伊豆守は独り言のようにつぶやいた。
「おそらくは、原城を落とされ、身内の者を殺された悔しさのあまり、口をついて出た言葉にすぎないのではないかと思われますが……」
「うわさは噂にすぎぬ。大矢野四郎は陣佐左ェ門が間違いなく討ち取ったのだ。それを、生きているだの、奪い返すだのというのは、御上をないがしろにしておる輩の妄言にすぎぬ」
 突然烈火のごとく吐き出された伊豆守の言葉を、鉄蔵は恐れ入って聞くしかなかった。
「高来郡の仕置きが完全に終わるまで一揆軍の刎ね首を晒すつもりはなかったが、事情が変わった。奴らの首をすぐに晒すべく手配させねばならん。一万からある奴らの首を全て晒しておけば、肥前各地に残っているであろうキリシタンどもも出てくるのではないか。神を信じて戦った者の末路を哀れと思うならば出て来るであろう。もし出てこなければそれはそれで良い。死んでいった仲間を哀れむより、我が身大事と隠れておるならば、それは御上の意向にひれ伏したことになる。そうなれば残党狩りの手間が省けるというもの」
 伊豆守は、自身の言葉に酔っているかのように顔を紅潮させていた。
「鉄蔵、流言について探索を続けよ。それと、奴らの首が晒された時、首を見て嘆き悲しむ者がおれば全て引っ立てよ」