第13回九州さが大衆文学賞 笹沢佐保賞受賞作 「華吉屋縁起(かきつやえんぎ)」井上順一

 
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    (一)

イラスト  享保十三(一七二八)年六月十九日。降り続いた梅雨がようやくあがった長崎の町は、半月状に取巻く小高い山並みの緑がにわかに濃さを増し、細長い入り海は鏡を置いたように一面に眩しく日差しを返していた。その懐深く抱かれた大波止(おおはと)は、早朝からものものしい気配に包まれていた。
  交趾(コーチ)国広南(カンナム)を発ってきた一隻の唐船が大波止に入ったのは、六日前の十三日のことで、その船には時の公方・吉宗公のたっての所望で、唐の商人・呉子明から献上される牡牝二頭の仔象が積まれていた。その象がいよいよ陸揚げされる。
  長い航海を終え無事港には入ったものの、臆病で巨大な象の陸揚げは大仕事だった。波止場から舷側へ太い角材を渡して、幅二間もの頑丈な橋を作った上に古畳を敷き、さらに土を盛り草まで植えて陸地に見せかける。その桟橋をしつらえるのには数日を要した。
  暗い船底からあげられた象は、朝の光にとまどうように高々と鼻をあげて鳴いた。象使いの男が乗った牡の象がまず橋を渡った。象がひと足踏み出すたびに、桟橋はぎしぎしと軋んで大きく揺れ、居並ぶ長崎奉行以下の役人たちは肝を冷やした。ついで女の象使いが牝の象の背に乗って橋を渡った。二頭の象が桟橋を渡りきると、憚るように小さな拍手が起こった。象を驚かさないようにと、あらかじめそう達しられていた。
  象はしばらくのあいだ、十善寺村の唐人屋敷で飼われることになっていた。その日、大波止を振出しに唐人屋敷までの道筋は、老若の人波に埋め尽された。思案橋から本石灰町(もとしっくいまち)にかかる辺りも、丸山の妓楼の女たちの艶やかな姿も交えて、早朝から犇くような人だかりで、商家の二階からもこぼれるほど大勢の顔が覗いていた。
  その朝油屋町の賭場を出た仁吉(にきち)も、通りかかった町筋で象を迎える騒ぎに出会った一人だった。大きな仁吉と肩が触れて睨みつけられた男が、慌てて人込みの中に逃げこんだ。眼の下に隈を作り、むくんで脂の浮いた顔、右頬の大きな傷が仁吉をいっぱしの悪(わる)に見せていたが、やや下がった眉尻から頬にかけて、わずかに二十歳になったばかりの稚さも残っていた。
  仁吉が何度目かの大あくびを噛み殺したとき、
「来よった、来よったばい」
  鍛冶屋町の方から潮騒のようにどよめきが伝わってくると、道の両側を埋めた人々が、身を乗り出してその方を眺めた。
  先触れの十数人の町役人の次に、平たい笠をかぶり、緑色の唐人服に裾広の赤いパッチ風のものをはいた男が、豕(いのこ)のようなこわい毛の大きなけだものの背にまたがり、人々の頭の高さをゆらゆら揺れながら近づいてくる。そのあとに同じなりをした女が、もう一頭の背に乗って続いていた。
「あれが象ちゅうもんかいな」
「おーた。あの長かもんが鼻じゃろかのぉ」
「脚だとて、丸太んごたるばい」
  囁きかわす声が、重なってざわめきになる。
  ふいに先頭の象が止まった。
  象使いの男が声をあげ、象の横腹を蹴った。ゆっくりと振りあげた象の長い鼻が、人群れの中の若い娘に向って伸びた。娘が小さく叫んだときには、象は娘の手にしていた包みを奪い、そのまま鼻を巻きこんで口に入れていた。と見る間にまるで手妻のような鮮やかさで、とり除けられた包みだけが吐きだされた。
「返して、うちのカスティラを返して」
  娘の悲しげな叫びは大勢の笑う声にかき消された。
  歩み去る象に向って駆け出そうとする娘を、引き止めようとする者がいて、人垣のひとところが大きく揺れ、大勢が雪崩を打って一方に倒れた。
  危うく免れた仁吉の少し先で、重なり合ってもがく人々の中に、裾がめくれて白い内腿が露わになったあの娘がいた。十五、六だろうか。血の色を浮べた色白の顔がこわ張り、恐ろしさに見開かれた大きな瞳、声にならない叫びをあげる花びらのような唇を、仁吉は素早く見てとった。
「さ、手を寄こしねぇ」
  差し延べた手に娘は夢中で縋ってきた。仁吉は弾みをつけて娘の体を引き起こすと、すっぽり腕の中に抱き取った。娘の体のしなやかな温みと微妙な匂いに思わず頬を緩めかけたとき、その体はするりと仁吉の腕から抜けていた。
「危なかところを、まっこと有難うござりました」
  深々とさげた頭を起こした娘は、仁吉を見てふいに怯んだ表情になった。
「怪我ァなかとね」
  自分でも気がさすほど甘い声で訊ねながら、仁吉は右頬の傷跡が引きつるような気がした。
  娘は消え入るように「はい」と答え、もう一度ぎこちなく頭をさげると、逃げるように人群れの中に走りこんだ。
「けっ、そいが助けられた挨拶かい」
  肩透かしを食った仁吉は、ふと足許に落ちているものに気づいた。拾いあげると、古びて手擦れの痕はあるが、柔らかな手触りを残した真紅のビロードの、それは守り袋らしかった。
  あの娘のものかもしれん。
  慌てて追おうとしたが、もうその姿は人込みにまぎれてしまい、仁吉は諦めて足を止めると、手にしたものを改めて見た。銭入れならいざ知らず、守り袋では捨てるにも気がさして、厄介な物を拾ったと思わず舌打ちがでた。

 仁吉は油屋の土蔵を借りて開かれる賭場の三下だった。
  昼のうちは蔵番として、絞め滓の臭う蔵の土間で眠りこけていたが、夜になると賭場の片隅にうずくまって、遠目に盆の上の勝負を窺いながら、胴元や兄貴分から声がかかるのを待っている。大きな図体だが生まれついての人の好さで、おまけに口が重いとあって、いつまでもただの使い走りだった。
  仁吉はかつて料理人になる修業をしていた。海産物を商っていた父親が、抜荷に連座して遠島になったため、板場の下働きとして奉公に出たのは十三の歳だった。菜っ葉や芋、大根、客の食い終った器を洗い、魚のアラを始末し、店の土間掃除に追い回されながら、初めは本気で料理人になるつもりだった。
  だが十七歳でようやく包丁を握らせてもらったとき、仁吉はすでに料理の技より、流れ者の板前に教えられた手慰みに嵌りこんでいた。あいにく賭け事には不向きな性分。勝ったためしがないとなれば、端た金でも借銭はいつかとうてい返せるあてのない金高に膨れあがっていた。人相の悪い相手が板場にまで取立てに来るようになると店にはいられず、行きつけの賭場に泣きついて借銭代りのただ働きで、ともかくも三度の飯にはありついた。大きな体を見こまれての蔵番だったが、けちな小泥棒に匕首で頬を裂かれて腰を抜かし、以来「芋柄木刀(いもがらぼくと)」と渾名されて、いまだに三下扱いから抜けられなかった。

   (二)

「祖母(ばば)しゃまにと貰うた大切なカスティラを、象に奪られてしもうた」
  お絹は、病み伏している祖母の房に、精一杯悔しさを訴えた。カスティラは並の人間はめったに口にすることのできない高価な菓子だった。
「よかとよ。カスティラはほん惜しかけど、それよりお前(まん)の身に怪我んなかことが何よりたい」
  房は衰えた顔にいつもの優しさを浮かべて言った。
「して、その象とやらは、どんげな風じゃった」
「そいが途方もなく大きな生き物で、男衆(おとこし)の腿んごたる太うて長か鼻ばしとって」
  手振りを交えて話すうちに、お絹はまた悔しさがぶり返してきて涙声になった。
  あの時お絹は丸山町の茶屋吾妻屋からの帰りだった。医師への払いはもとより日常の入り用のつけも、とうに背負いきれぬほど滞っていた。房には隠して、死んだ母親の八重がかつて勤めていた吾妻屋に、女郎としての年期勤めの約束をしてきた。
  祖母しゃまとお食べと、内儀が包んで寄越した二切れのカスティラを、しっかり胸に抱いて帰りを急いでいたお絹は、本石灰町で象見物の人垣に堰かれて動けなくなった。そこでカスティラを象に奪われたばかりか、守り袋まで無くしてしまったのだ。それはお絹とともに房に引き取られた守り袋だった。十三歳の秋、初めて女の徴しを見た日、「これはおまんのお母しゃまの形見じゃ」と房に手渡され、「決して開くることはでけんよ」と堅く戒められていた。その守り袋を失くしてしまったとは、房にはどうしても話せなかった。
  あの中には自分の生れの秘密が隠されていたのではないか。失くしたことでふいに湧いてきた思いだった。

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