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◆センバツ切符◆ |
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◆出場決定の瞬間◆ |
SASHO、4年ぶり大舞台へ―。第76回選抜高校野球大会への出場が決まった佐賀商。昨年10月の九州大会でベスト4入りして3カ月。待ちに待った吉報に選手も関係者も喜びに沸いた。 午後3時55分、日本高野連からの電話が鳴り、古賀國樹校長(59)が「謹んでお受けいたします。ありがとうございます」。この後、グラウンドに場所を移し古賀校長が「出場決定」を選手たちに伝えると、サッカー部や下校途中の生徒たちからも「おめでとう」の声があがった。ナインはあふれる喜びを抑えきれず、帽子を投げ上げ、田代孝監督(36)を3度胴上げした。 野球部父母の会会長の今村秀喜さん(41)は「この日を待ち望んでいた。子どもたちが精いっぱいプレーできるようサポートしていきたい」。甲子園でチアリーダーを務めるバトン部部長の北島環さん(17)も「新しい動きを取り入れてしっかり応援します」と笑顔で話した。 94年夏、全国制覇を成し遂げた田中公士元監督(62)も駆けつけ「本当によかった。センバツ出場は夏へのステップ。万全の状態で臨んでほしい」とエールを送った。校舎には早速、記念の垂れ幕が。3月いっぱいで定年退職する古賀校長は「教員生活最後の年に、最高の思い出ができました」。感無量の表情で歓喜に沸くグラウンドを見つめていた。 |
◆松本軸粘りの野球◆ |
第76回全国選抜高校野球大会の選考委員会が30日、大阪市で開かれ、佐賀商など各地区の代表32校が決まった。佐賀商は春夏合わせ18回目の甲子園。九州地区からは昨秋の九州大会を制した福岡工大城東(福岡)、同準優勝の熊本工(熊本)、日南学園(宮崎)の3校が順当に選ばれた。
佐賀商は九州大会で主戦松本が力投。準々決勝では、投打に粘りを発揮し九産大九州(福岡)を3―2で振り切った。チーム打率は2割4分1厘だが、機動力を生かしたそつない攻めも高く評価された。 一般選考の29校、希望枠の1校を合わせた全32校の組み合わせ抽選会は3月15日に行われる。 |
■佐賀商 1907(明治40)年、佐賀市立佐賀商業学校として開校。48(昭和23)年、学制改革により現校名に改称した。 商業科、情報処理科、国際経済科の3学科があり、984人(男子354人、女子630人)が学ぶ。 野球部の創部は21(大正10)年。甲子園には夏12回、春6回の出場。94年夏には県勢初の全国制覇を果たした。 現在の部員数は32人。OBには新谷博(北海道日本ハム2軍投手コーチ)、於保浩己(千葉ロッテ外野手)らがいる。 |
=戦力分析=
昨年10月の九州大会は2回戦で中部商(沖縄)に10―3で大勝。準々決勝の九産大九州(福岡)戦では主戦松本の力投で接戦をものにした。準決勝は優勝した福岡工大城東(福岡)に0―4で敗れたものの、粘り強い戦いぶりが光った。 大黒柱の松本は最速138`の直球と鋭いスライダーを軸に組み立てる。昨年6月に投手を始めたが、夏以降大きく成長。九州大会は3試合を1人で投げ抜き、27三振を奪った。 九州大会のチーム打率は2割4分1厘だが、上位を中心に勝負強い打者がそろう。1番堀は3割6分3厘。巧打で打線を引っ張る。松本、飯田ら中軸は一発長打を秘める。昨秋の県大会6試合で19盗塁の機動力も大きな武器だ。 ナインは甲子園を見据え、徹底した走り込みで基礎体力の強化に励んできた。これからは試合感覚を取り戻しながら、守備力の底上げを図り「本番」に備える。 |
27回 | (55年) | 佐賀商 |
33回 | (61年) | 唐津実 |
40回 | (68年) | 佐賀工 |
45回 | (73年) | 唐津商 |
56回 | (84年) | 佐賀商 |
61回 | (89年) | 龍谷、佐賀商 |
64回 | (92年) | 佐賀商 |
72回 | (00年) | 佐賀商 |
73回 | (01年) | 神埼、鳥栖 |
=関係者の声= 「うれしい春の知らせ」古川知事の話 「正直、ほっとした」崎村晨好・県高野連理事長の話 「相手の応援も味方に」94年に全国制覇した時の優勝投手、峯謙介さんの話 「緊張感を楽しんで」前回、主将として甲子園の土を踏んだ高津雄太さんの話 「後輩の頑張り励みに」OBで千葉ロッテの於保浩己選手の話 |